光線の歴史


 古代の光線療法
 古代社会において太陽は全能のシンボルとされ、紀元前のエジプトや古代ギリシャ、インドや古代ローマでは、積極的に日光浴や日光療法がおこなわれていたことが遺跡や記録にはっきりと残されています。

 近代の光線療法
 近代になるとヨーロッパにおいて、多くの日光療養所がつくられそれまで経験的に行われていた日光療法が科学的に検証されました。赤外線、可視光線に続き紫外線の作用がすこしづつ明らかにされてきました。
 かのフローレンス・ナイチンゲールも戦争の負傷者を屋外に移して好成績をあげた治療経験をもとに、イギリスに帰国後、病院の設計が日光や空気の流れのことを抜きにして考えられていることに異を唱え、病舎の日当たりを良くするために施設を改善させました。

 人工光源の発明
 エジソンが人工照明のために可視光線を出す電球を発明した後、太陽光線に近く紫外線をも含む人工光源に対する要求にこたえて、デンマーク人のニールス・フィンゼンにより太陽光線と同じ連続スペクトルを放射するカーボンアーク灯が、世界で初めてつくりだされました。
 フィンゼンは不治とされていた尋常性狼瘡(結核菌が皮膚組織を侵しオオカミに咬まれたような傷になる)をこのフィンゼン灯を使い、期待した治療結果をおさめたことで、1903年にノーベル医学生理学賞を受賞したのです。

 現在の光線療法
 日本には光線療法の効果を最大限に引き出すために必要な光線全身照射設備を設置した光線治療院が全国にいくつかあります。レンは全国光線普及協会に所属して、健全な光線普及活動に従事し多くの患者様に支持され、喜んでいただいています。

日本では

 日本では、明治になり東京大学皮膚科で皮膚病の治療が行われました。ヨーロッパで発達した人工光源治療が発達し、昭和になって家庭用光線治療器が現われ一般家庭でも利用されました。 太陽を大日如来やお天道様と呼び信仰の対象とした日本民族は、日の神・天照大御神の子孫とされ、男を日子(彦)、女は日女(姫)と呼びましたが、こうした背景からも当時は今よりも光線療法が好まれたかもしれません。